ノリコ
-
ねえ、聞いて。
この前の「士農工商」という言葉が当時存在しなかった話に絡んでなんだけど
アイコ
-
ママ、どうしたの?
何かもっとすごいことがあったの??
ノリコ
- アイコが学校で使っていた歴史の教科書とこの前パパが買ってきた高校の教科書を比較して、差としては微妙なのかもしれないけど、かなりインパクトがある言葉を見つけたの?
マモル
-
何?、そのインパクトがあることって?
もったいぶらないで話してよ
ノリコ
- じゃあ言うわね、実は江戸時代、「鎖国」はなかったの!。
マモル
- え~!。
アイコ
ノリコ
- そうよね、けどアイコ、そのページの欄外に注意書きがあるから、そこも読んでみて。
マモル
- 「『鎖国』という用語が使われるようになったのは、19世紀はじめのことです」
ノリコ
-
そう。
鎖国が始まったことになっているけど、それは17世紀の半ばよね、19世紀のはじめまでは、150年程の時間差があるっていうわけよ。
マモル
- なるほど、それはおもしろい。
ノリコ
- もう一度、「鎖国」という言葉を確認しておきたいから、パパ、この高校日本史の教科書、この部分を読んでみて。
マモル
ノリコ
-
おそらく、「後の世で言っている、鎖国」っていう意味だと思うの。
その教科書にも、欄外で説明が書いてあるでしょう。
マモル
-
なるほど、鎖国はなかったわけだ。
実際にも、外交を完全に閉じていたわけでもなく、出島に限って交渉があったわけだし。
ノリコ
- そうなの、言葉そのものが当時存在しなかったし、完全に国を閉ざしていたわけでもないから、「いわゆる鎖国」だとか、もっと言うと、鎖国はなかったって、なるかもしれないと思うの。
アイコ
-
へ~!、ママすごいじゃん。
見直しちゃた。
※ 鎖国に関する年表
年 | 出来事 |
---|---|
1637 | 島原・天草一揆(島原の乱)が起こる |
1639 | ポルトガル人を追放 |
1641 | 平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す |
※ 鎖国という言葉について
ドイツ人医師ケンベルはその著書『日本誌』で、日本は長崎を通してオランダとのみ交渉をもち、閉ざされた状態であることを指摘した。
1801(享和元)年『日本誌』を和訳した元オランダ通詞志筑忠雄は、これを「鎖国論」と題した。
鎖国という語は、以後、今日まで用いられることになった。
(山川出版 日本史B P179,欄外より引用)