今日は、アイコの中学校の家庭訪問です。
この4月から新たにアイコのクラスの担任になった、社会科担当の考古先生がやって来ました。
考古 マナブ
- 本当に、アイコさんは社会科が好きみたいで、授業の後にも熱心に質問に来ています。
ノリコ
- そうですか、ご面倒を掛けまして、どうもすみません。
考古 マナブ
- 面倒なんて、とんでもない。
こっちも勉強になっています。
この前も、「大仙古墳」のことで聞かれました。
ノリコ
- ダイセンコフン?
考古 マナブ
- ああ、お母さんの頃でしたら、「仁徳天皇陵」という呼び名ですね。
ノリコ
-
「仁徳さん」ですか?
私、実家が大阪で、堺にも親戚がいますけど、周りではみんな「仁徳さん」て呼んでました。
で、その「ダイセンコフン」って何ですか?
アイコ
-
ママ、知らないの~~?
仁徳天皇陵は今、「大仙古墳」って呼ばれているのよ?
ノリコ
-
え~~っ!。
先生、どういうことですか?。
考古 マナブ
- 「仁徳天皇陵」には、そもそもの疑問があったんです。
本当に仁徳天皇を埋葬した陵墓なのかと。古墳の形状などから判断して、この古墳は5世紀に造られているようですが、それでは、古事記に書かれている仁徳天皇の時代と100年以上のズレが生じています。
あの古墳は宮内庁が管理していますから、実地調査が許されていないので、実際に誰を埋葬したものか、分かっていないんです。
明らかに、「仁徳天皇陵」と言える証拠がないわけですから、考古学会のルールに従って、地名である「大仙」を冠して、「大仙古墳」または「大仙陵古墳」という呼び方をするのが、今では一般的になっています。教科書にも、
大仙古墳(仁徳陵古墳)
(新しい社会 歴史:東京書籍)と記載されていますが、これは写真とともに脚注として書かれているだけで、教科書の本文中には記載がありません。
ここで「天皇」の文字すら消えてしまっているのは、まだこの頃は「天皇」という呼称が存在していなかったという理由に基づくものでしょう。
ただ、このあたりの表現は、まだ教科書の出版元によって異なるようです。
アイコ
- 先生、この古墳を含む周辺の古墳群を世界遺産にしようと、一部の人が言っているみたいですけど、どうなんですか?
考古 マナブ
-
う~ん、詳しいねー。
国会でも先日、超党派の議員連盟ができたね。
けど、先生は2つの理由で、今の状況のままでは実現が難しいと思っています。1つは、古墳群の中心となるべき大仙古墳が、そもそも誰の墓であるのかがはっきりしない状態では、世界遺産としてのインパクトが弱いんじゃないかと。
そしてもう1つは、ルールの問題だけど、この古墳は皇室財産だから、このままでは、世界遺産の登録要件を満たしていないんだよ。
いわゆる「文化財」という扱いにしないといけないみたいで、もちろんこれは調整中のようだけど、非常に高度な政治判断が必要だと、先生は思うね。
ノリコ
-
先生、ありがとうございます。
大変勉強になりました。
主人も最近、アイコの影響で学校の勉強にも関心が出てきたみたいですので、帰りましたら、教えていただいたことを早速話そうかと思います。
アイコ
- たぶん、パパは知らないよね...。
登場人物の設定に関しては【こちら】