源頼朝の肖像画は別人だった?!

 

マモル

  • アイコ、この前の鎌倉幕府のこと、パパも調べてみたけど、またまたショックなことがあったよ。

アイコ

  • 何、どうしたの?

マモル

  • これを見てくれよ

伝源頼朝像

ノリコ

  • これ、頼朝の絵じゃない?、肖像画。
    結構、ハンサムよね

マモル

  • だろう?、俺もそう習ったよ
    けど、これが違うんだよ、な、アイコ

ノリコ

  • えっ、違うの?

アイコ

  • ママ、知らないの?
    これは、源頼朝の絵とは言い切れませ~ん

マモル

  • やっぱり、ママも知らなかったんだ。

アイコ

  • 私が習っている、歴史の教科書にはこう書いてありま~す。

    「源頼朝と伝えられる肖像画」
       (新しい社会 歴史:東京書籍)

    学校で先生が言ってたけど、むしろ頼朝の肖像画ではない、という説が今では有力みたい

ノリコ

  • じゃあ、一体これは誰なの?

アイコ

  • 教科書には、それに関しての記述はないわ。

マモル

  • じゃあ、ちょっとパパが調べてみた内容を発表しようかな。
● そもそもこの絵は誰を描いた絵なのか?

  • 足利直義(尊氏の弟)とする説が有力だが、断定できる程の確証は、まだない
● どうして頼朝に間違われたのか?

  • 昭和26年(1951)にこの肖像画を含む、神護寺所蔵の三像が国宝に指定されるも、そのとき既に、この絵の正式名称は「伝源頼朝像」だった。
    神護寺には、頼朝を含む、5人の肖像画が保存されていると「神護寺略記」に記載されている(うち2点は所在不明)も、肖像画にそれが誰であるかの記載がなく、言い伝えの限りでしかなかった。
    そもそもはっきりしていなかったものを、昔の教科書では断定的に紹介していた。
● 今回どうして間違いがわかったのか?

  • この絵を源頼朝の肖像とするには、いくつかの矛盾点がある。
    肖像画には作法があって、位の上位の者は向かって右側から中央を向いて(左向き)描かれるのに対し、時の権力者である、将軍の頼朝が左側(右向き)に描かれるのはおかしい。
    (左右一対で、足利尊氏、足利直義とする説)
    また、美術史的研究によると、この絵が描かれたのは、頼朝の時代よりも、もっと後年で、「足利直義願文」に記載のある、足利直義が神護寺への肖像画の奉納した時期に合致する。
    など

マモル

  • ざっと、こんな感じだったよ。

アイコ

  • じゃあ、私が大人になった頃には、また変わってるかもしれないのね。

ノリコ

  • その可能性は高いわね。

<補足>
高校用の代表的歴史教科書である、山川出版社の「詳説 日本史B」の最新版(平成24年検定済)には、この肖像画についての記載が一切ありません。

 

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